「夜明けに、月の手触りを」から、展

【「夜明けに、月の手触りを」から、展】はじまりから、その日までの軌跡

記録⑧:8月16日『ここに、台本がある』、公にする手触りとは

8月16日。

 

8月前半は兵庫県で仕事があり、長野にいなかったため、前回の『ここに、台本がある』から約3週間ぶりの開催。

夕方、犀の角に到着するとすでにHさんがいらしていて、カフェで購入済の台本を読んでいた。軽く挨拶をして、Hさんが台本を読み終わるのをなんとなく作業をしながら待つ。

読み終わったHさんと、お茶を飲みながらしばし話した。
Hさんは初めてお会いする方なのだけれど、踊りをやっているそうで、共通の知人もいたのでどういう活動をしているかなど、お互い少し紹介し合った。

Hさんは、踊りだから普段言葉を使わずにパフォーマンスをしているので、他者の言葉をどう自分の身体と関係させるかが興味があって、今回来てくれたらしい。

しばらくすると、毎回参加してくれているMさんが参加。
3人で少し話ながら、Hさんに、台本を読んだ感想を尋ねてみた。

少し言葉を選びながら、

ここに登場する人はすごくピュアじゃないですか。葛藤があるというか。
なんか、今のわたしとはものすごく遠い人たちだな、と思いました。

と教えてくれた。
それは、今のHさんにとって遠いだけなのか、昔もそうだったのか聞いてみると、
Hさん曰く、おそらく感情で揺れる自分と、それを常に俯瞰している自分とが二人いるから、葛藤をするような場面は昔から少なかったと思う、と。

そして、
「この5人の女性は、藤原さんの分身?のようなものなのですか?」と尋ねられた。

自分に近い部分が反映されている度合いは大きいけれど、全く自分である、という感じでもなく、他者と自分の交点のような感じだと思う、と私は答えた。
実際、広告代理店勤務の友人や、遺伝子研究をしている知人に話を聞かせてもらったりしながら、様々な人と対話したものをきっかけに書いた戯曲だった。
でも、戯曲を書きはじめた初期の頃だった『夜明けに、月の手触りを』は、まだまだ交点の交わる位置が、自分に近かった、とも自覚している。と付け加えた。


Hさんは後に予定があるらしく、9月にまた遊びに来ます、と言って途中で帰り、
その後、前回も参加してくれたSさんがまた東京から来てくれた。
Sさん、前回は新幹線で帰っていたが、今晩は犀の角に宿泊するらしい。

 

毎回参加のMさんも、二度目参加のSさんも、企画に最後まで伴走したいと言ってくれた二人なので、そのまま3人で、今回の企画について、「産む/産まない」にまつわる話など、脱線しながら話しつつ、夜が更けた。

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ここからは少し私の話になる。
私は今回の企画を始めるにあたって、戯曲を久しぶりに読み、少し苦しくなりながら感じたのは、「これを書いた人は、子どもを産みたがっているじゃないか」ということだった。

そして、そう思ってしまったことにハッとした。
いや、そう思うということは、“これを書いた人”という過去の私ではなく、今現在の私が、実はそう思っているからそのように読んだのではないか? 

記憶の中の時系列は、どれが後だか先だかが分からなくなってしまっているけれど、
『夜明けに、月の手触りを』のおそらくクリエイションの時期くらいだった気がするが、当時付き合っていた恋人から、改まって、実は子どもを作るのが難しい身体であると告げられたことがある。
当時結婚も視野になくはない、という間柄だったので、恋人からすれば、子どもが欲しいのであれば付き合いを見直してくれてもいい、という意味も込めての、切実な告白だった。
「おお、そうなんや」と答えながらその時、平静を装った顔の裏で、真っ先に浮かんだのは“これで堂々と産まない道を歩んでもええんや”という安堵だった。え、ここで安堵? と自分にギョッとしたが、それほどに当時は、仕事をしたくてたまらなくて、仕事をするという道が絶たれてしまう可能性が怖かった。
今の仕事を続けたいのであれば、子どもを産んだり育てたりするのは現実的じゃないと思っていた。だから、当時の恋人と結婚することになったら、“産まない”が自然な道として決定されることに、ホッとしたのだった。

そう思うに至ったのは、同じ業界で当時女性で子育てをしながら働いている人が周りに少なかったからだとも思う。

高齢出産がきっかけで体調を崩してしまった先輩からは、「女は出産したら仕事を失くすけど、男は子どもできても関係ないんだよね……」という呟きを聞いたことも、どこかでずっとひっかかっていた。

出産は何かを諦めることと同義だと思っていた。「女とか男とか関係なく仕事したい、性別で仕事を失いたくない」とも思っていた。20代、とにかく、焦っていたのだ。今振り返ると不憫なくらいに。

恋人に告げられたことについては、二人が付き合っていく上では関係のないことだと答え、その後しばらく順調に交際は続き、全く別の理由で別れた。

20代は、こういう大人になりたい、こういう仕事をしたい、と漠然とした憧れや目標のようなものがあり、そこにどう向かっていくか、あくせくジタバタしていた気がする。
30歳を超えると、1年前には自分が想像していなかった出会いや出来事が目の前に広がっている豊かさを実感することが増え、「予定」や「計画」はあまり意味がないもんだと思い始め、だんだんと先を考えることを放棄するようになった。コロナを経て、それは加速した。先のことは予想できないのだから、この“今”が連続する中で出会ったもの、選ぶことになったものをよしとしていこう。これは、今現在にも続く考え方だ。

パートナーができたらできたで。産むことになったらなったで。
日本に住むなら住むで。日本じゃない場所で暮らすならそれはそれで。
死んだら死んだで。そのとき出会ったもんと、なるべくしてなるように。

それが、自分にとって生きていくには心地良い態度だと思っていたので、未来のために、先んじて何かを準備することは、肌に合わないと思っていた。

それなのに、『夜明け~』の企画を始めてから、「もしかして産みたがっているのか?(現在なんの予兆もないのに?)」という問が再燃し、少し戸惑っている。

産みたい、って、なんだ。産みたいから産めるわけでもないが、そもそもどういう心理なのか、自分でもよく分からない。

本能なのか。隣の芝生が羨ましいのか。体験したことのないことを体験してみたいという作家由来の醜いエゴなのか(それだったら断固否定したい)。老後が心細いのか? 自分の親を理解したいとか? そもそも本当に産みたいのか。 違う欲求と混同していないか。

二週間ほど前、選択的シングルマザーで出産し育児をしながら仕事している方の話を聞いた。そういう人もいるんだ……!と聞いた瞬間励まされたような気持ちになり、「うわ、今励まされてしまった……!」と、また自分に驚いた。
自分のことはよく分かっているつもりなのに、触れたものに対する心身のリアクションにギョッとしてばかりだ。

選択的シングルマザーについては、その後少し調べたりもした。
しかし「産む」を先に持ってきて、それのために行動することはやはりエゴなんじゃないか? でも、科学が進んでそれが選択できる時代なのだから、ただの選択肢だと思えばいいのか?

少し考えたけれど、考えは先に進めず、辞めた。

ひとつの命の話なのに、こうやってもちゃもちゃと先んじて考えること自体が、おかしい、とも思っている。
ただ、何か身体の中に気づいてしまったざらつきがあって、これをどう見つめればいいのか、今ある感触を持て余している。

少子化対策”というワードを聞くと、「国のための身体じゃねえわ、好きにさせろや」という苛立ちと同時に、何とも言えない申し訳なさが沸く。


etc・・・

・・・・・・・・・

 

Mさん、Hさんと3人で『産む/産まない』の話をしているときに、私はこのような話をした。

Mさん、Hさんの話もそれぞれ聞いたけれど、それは私が書く書かないを判断できる内容ではないので、ここに書くことはしない。

私は自分の話なのでこうして書いているけれど、今回『夜明けに、月の手触りを』をきっかけにして対話すると、性別問わず、このようなかなりセンシティブな話題を含む対話が生まれることが多い。


家族の話、パートナーとの話、体調の話。その人が、現在抱える痛みについて。

今回、“戯曲”ではなく、戯曲に触れた“手触り”に焦点を当てて企画を進めている。
それが、今のタイミングで、この戯曲で、必要だと思ったからやっているのだけれど……。

手触りを“公にする”というのはどういうことなのだろう?

個人的なできごとは、それだけで誰かにとって、“読み応えのある”物語になってしまう。でも、個人の大事にしてきた時間や言葉を消費したくはない。わたしたちは素材ではないから。


様々な手触りは公にする必要があるのだろうか。ないならないで、クローズドでシェアすればいいのでは? でも、何かの形で公にする必要がある気はしている。
じゃあそれはどうして?どのように?“公にする”には、必要な変換がいるの? 
そこに必要な意志は?

答えが出ているわけではないけれど、そのあたりのことも、3人で少し話して、この日は終わった。



記:藤原佳奈

『夜明けに、月の手触りを』から、展
2023年10月13日~15日 @犀の角

『夜明けに、月の手触りを』から、展 ~2023東京編~
2023年9月17日 (日)@三茶PLAYs 
OPEN 17時半 /START 18時半~

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