「夜明けに、月の手触りを」から、展

【「夜明けに、月の手触りを」から、展】はじまりから、その日までの軌跡

記録⑫:8月26日 犀の角で相談。

8月26日

犀の角の皆さんに、現状の報告と、今後についての相談。
宣伝美術の大沢さんも、同席してくれた。

台本と私だけがいて、そこからどうなるか全く分からずに始めた企画だったが、
この2か月弱で色んな発展をしていった、その経過を犀の角の皆さんにシェアした。

最初に10月13日~15日の間犀の角を借りることだけを決めていたが、場をひらき出会った人と交わしていくことで企画の進み方を決め、その進み方によっては、最後に“上演しない”も選択肢としてありうる、と思っていた。
けれども、何度も場をひらき、台本をきっかけに様々な人と話しながら、やはり“もう一歩パブリックに向かいたい”と思った。

少し脱線するが、私は今、“おどりば”という松本市のコンテンポラリーダンサー・二瓶野枝さんの企画にも携わっている。犀の角も共催の企画だ。
下は小学生から上は50代の大人まで、ダンスの経験問わない様々な方の、ソロの踊り作りに伴走している。
それぞれ個人の興味から作っていく踊り作品だが、最終的に“公に発表する”という場を控えていると、自分と世界の結び目のために、一歩勇気を出す、という姿をすべての人に見ている。そして、その姿に感動してしまう。
上手下手とかテクニックとかではなく、いつも心動かされるのは、その中心にある態度だった。

“おどりば”に関わりながらそのようなことを改めて考えていたこともあって、
『夜明け』の企画もどのような形になったとしても、“公に発表する”ところへ向かっていきたい、と思うようになった。

このとき考えていた構想は以下のようなこと。

◎犀の角を常時無料開放し、『夜明けに、月の手触りを』をきっかけに対話されたこと、応答された言葉を(何かしらの形で)展示
◎展示期間の3日間の間、有志参加者で毎日1回有料上演を行う
◎上演は、『夜明けに、月の手触りを』のリーディング+参加者間の対話から創作した短い上演作品 を一つのものとして発表


構想含め、これまでのことをざっとシェアした後、

「色々広がってきたこれまでのことが、最後まとめにかかるみたいな感じになってしまうともったいないんじゃないかな」

と犀の角荒井さんが意見をくれた。

確かに、そうなんだよな~と思う。
受け取り手との間をスムーズにするために整理し、削いでいく作業と
実践者の勇気が必要な場所へタッチするために集中していく作業は、全く違うことなので注意深く線引きをしないといけない。

拡散していくだけでは行けない場所へ行くために、何をすればいいのか/してはいけないのかはよくよく考えよう、と思った。

今回、犀の角での上演想定で『夜明けに、月の手触りを』のリーディングと、対話から創作した小さな上演作品とをひとつのものとして発表するという案について、

市民参加の演劇プロジェクトで、演出家がやってきて、俳優経験のない人が既成の戯曲を読む、というときの、つまらなさってあるよね、という話になった。

かける時間の少なさもあるけれど、戯曲と演出家の権威の元に、体よくまとめられていく時間。そうなってしまうと今回の企画は全く意味がない。そういった“権威”そのものを問うている企画でもある。

懸念としては、おそらくもっと時間をかけるべきプロジェクトなのにもかかわらず、プロジェクトの実りの可能性に対し、少し期間が短いとうことだ。
時間の制約は、対話が置いてけぼりになっていく可能性を孕んでいる。

時間の制約がある中でのクリエイションで起こりうることは、
①恰好がつく上演に向けて、プロセスがすっとばされる
こと。(様々な妥協の中で安易にこの危険性に飲み込まれる。)

一つの選択として、
②プロセス重視にして、上演を行わない
ということも考えられるけれど、

今回は、
③上演は行うが、プロセスを損なわないサイズの上演にする
ということを目指したいと思う。

9月のクリエイションは、犀の角で誰でもふらっと覗けるような状態でのはんびらきの場と、参加者のみのクローズドの打ち合わせを週一ずつ設けることにした。

(しかも、犀の角カフェに常時台本と手触りノートを置いておき、犀の角でクリエイションをしていない時でも常時『夜明けに、月の手触りを』から、展が開催されているかのような場を設えていただけることになった。これについては後日詳細を書く。)

まとめていく方向や、リスクを減らす方向ではなく、
常にしなやかな場が生まれる方向へと一緒に考えてくれる犀の角の皆さんのおかげで、大事なものを見失わずに進んでいる気がする。


記:藤原佳奈