「夜明けに、月の手触りを」から、展

【「夜明けに、月の手触りを」から、展】はじまりから、その日までの軌跡

記録⑬:8月27日 『ここに、台本がある』~上演のアイディア変更~

8月27日の、『ここに、台本がある』。

暑さが続くせいか体調を崩してしまい、少し日が経ってから書いている記録なので、いろいろすっ飛ばしている。

この日は朝から上田のサントミューゼで“おどりば”企画のリハーサルだったので、
“おどりば”制作のKさん、参加者のJさん、Tさんが参加してくれた。
その他の参加は、毎回参加のMさん(瑞穂さん)、東京から参加のYさん。長野から参加のFさん。新潟から参加のIさん。犀の角をリサーチするため滞在しているNさん。

Kさんは、台詞のある部分を読んで心拍数が上がった、と言った。
台詞を読んでいると、繰り返しよくみる夢を思い出したそう。
それは、「お母さん!」と呼びかけて、いやいや、わたしがお母さんでしょう、と思い直す夢。Kさんには、二人のお子さんがいる。

「お母さんになりきれていないのかもしれない」とKさんは言った。

お母さんはお母さんであるだけでお母さんなのに、
ならなくてはいけないお母さんとは、なんだろう。

以下、この日、話された言葉の、覚書。

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“初めて母に反抗したときは高校のときで、公文を辞めたいと言った”

“「わたしだって子育て初めてや!」と、母に言われた。そりゃそうか、と思った”

“30歳になったとき、頂上に登ったようなすがすがしさがあった”

“26歳で勤めはじめた。30歳になっても、特に変化はなかった。”

“子どもいなくて共働きの《DINKs》って言葉が流行ったけど。今は持たないっていうか、持てないよね”

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しばらく話した後、

Iさん、Kさん、Yさん、Tさん、Mさんの5人で最後の章、【5人の夜明け】を読んだ。

今日の顔ぶれが年齢も性別も住んでいるところもバラバラ、
という印象が強いせいか、色んな声で読まれることの豊かさを感じた時間だった。

バラバラの声を聞きながら、前日に犀の角で荒井さん達に相談したことを思い返した。

(こんなにバラバラの声で読まれる可能性があるのに、三日間通読される機会が同じメンバーによるものでいいんだろうか………もしかしたら、有志参加者の上演は、リーディングを含まない方がいいかもしれない……)

読み終わり、それぞれ声に出した感想を聞いた後、上演の形について皆さんに相談してみた。いきなり企画会議に巻き込んでしまった。

戯曲を声に出し、全員が参加者というクローズドの状態でシェアすることと、
お客さんとしてやってきた人に向けて戯曲を読み、パブリックにひらくということは大きく違う。後者を実現するためには、超えるべきハードルがいくつもある。
せっかく創作の経験関係なく集まった人たちで、戯曲に触れた感触から始まることを大事にするならば、『夜明け~』を通読して公に成立させるというハードルは、設けなくてもいいんじゃないか。犀の角での上演は、通読してシェアすることが肝ではないんじゃないか。

皆さんに相談しながら、上記のことがはっきりしてきた。

有志参加者の上演は、リーディングは含まず、対話から創る新しい作品のみにしよう、と思った。

そして、台本を声に出して読むのは、どういう設えにするかは分からないけど、来場した人と一緒に読む形を考えられないか。

でも、8、9人集ったときに人数の限界を感じていた“みんなで読む”を、それを超えた大人数でやることは可能なのか? どんな在り方であれば可能なのか、全然イメージができていない。

「あー、うーん、考えることいっぱいあるなー、これ大丈夫かなー……」

わたしがムニャムニャと弱気になっていると、

「大丈夫です、私がいるんで。」

瑞穂さんが言った。

この日、Fさんが上演に参加したいと言ってくれたので、現時点での上演参加者は4名になった。



記:藤原佳奈